2010年8月5日木曜日

インターネットという妄想

最近殊更人に言われることなのですが、しっかりと足元を確かめて歩きなさいということです。簡単なことのようで、普段から習慣化していないと自分が今どこを歩いているか、人は簡単に見失う危険性があります。年寄りが言う「若い」という言葉は、その現実感のなさに対する皮肉交じりの警告なのでしょう。フィールズ賞を受賞された数学者の小平さんの時代から、「今の人は妄想が多すぎる」と言われていたようですが、インターネットの登場によって、その「妄想感」は一気に加速したように思えるのは気のせいでしょうか?確かにそこら辺に落ちている情報を自分の気の赴くままひろって調理するのは楽しいことですが、それがどこからの情報だったかを吟味することなく、ただ乱暴に人に言いふらすというのを続けていると、その妄想のうちに自分の信用を失ってしまうことになりかねません。インターネットというのは情報を簡単に拾いそして捨てることができます。それは或る面ではとても「利便性」にかなったものだと言えますが、反面、どうしても自分を見失う危険性があるとも思います。また、「ヲタク」という人種がもてはやされているようですが、その弊害として、一般常識から逸脱してしまい、社会に適合できないということが挙げられます。酔うのは自由ですが、その種はいつか刈り取られるでしょう。情報に対して、受け取る側も発信する側ももっと責任をもつことが、この情報化社会の中で信用を失わない条件だと思います。

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