2010年10月16日土曜日

寺町日巡

今日は中高を共にした友達が東京からこっちに寄ってくれたので、寺町を案内することになった。

ご飯をと言われたのだが、寄ってくれたのはわざわざゆっくり話す時間を作ってくれたということだろうから、料理屋で話すのも何だと思い、寺町にある一保堂さんで玉露を飲みながら話そうと思い立った。

しかし、腹も膨れていないと胃がきついので適当に料理屋を探そうと近辺を自転車で散策した。

少し暑いくらい。快晴。


料理屋を探していたら裏通りの家具屋街に行き着いてしまって、あーあと思っていたら、小さいギャラリーを発見した。


ガラス越しに中が全部透けて見えた。
大きな絵などひとつもなく、なんだか色とりどりの小さい額縁の中に花が一輪あるだけ。何も観るものはないとそのまま通りすぎようとした。


しかし、おや?と思い、自転車を止めた。

こんな奥まったギャラリーでこんなに単純な展示というのがちょっと面白そうだったからだ。
あまり深くは考えなかったけれど、なにかあるぞと思いとりあえず中に入った。

そうするとやっぱり額縁に一輪花があるだけ。だけど、見たこともない感じがして綺麗だった。額は非常に立体的で、余白が計算されているのが素人でもわかる。作品と余白の境界線が立体的な局面で造られていて独特だ。

アーティストの人に話を聞いてみた。

すると、この見たこともない額縁の手法はフランスのロマンティックビュローという方法で作られているとおっしゃった。

「この額縁の余白は微妙な調整がされていて、余白に使われている紙は私の手法を使えばなんでもいいんですよ^^例えば外国でちょっと行った先の目に止まった綺麗なチラシでも、和紙でもなんでも縁の余白にできるんです。」

確かに額縁自体は非常にシンプルだったが、緻密に計算されていて、しかもそんなふうに万能な感じがすごいなぁと思った。


額縁のアーティストだった。

中身の絵に拘る人は多い。みんな一生懸命絵を描く。

しかし、描いたあとでそれを額縁に収めたいという欲求は誰しも起こるのではなかろうか?
それが、その絵のためだけの額縁で余白がその絵にぴったりならその絵も冥利に尽きるのではないだろうか?

すごく新鮮な感じがして話の続きを聞く。

「縁を強調したかったから、花を一輪だけにしましたが、この花も実は一工夫あるんですよ^^」

花は色鮮やか。普通のドライフラワーのようでいて形は咲いた時のままだ。
まるで今咲いているような柔らかさがある。

「この花は特殊な加工がされていて、一旦色を脱色して、形を保存したあとにまた色をつけるんですよ。確かに花の元の色とは違うものになるんですが、記憶を保存することはできますよ^^たとえば結婚式で貰ったブーケ。普通花は数日で終わりですね?でもその花で保存できるものをこうやって一輪インテリアにするだけできっと何年か先でも花は色鮮やかでの人生の彩りも変わってくるんじゃないでしょうか?素敵だと思いません?^^」

確かに、結婚式で貰ったブーケだとはとても思えない生活感があって、自然に部屋に溶け込みそうだ。

そういう風に人生の一ページを残せて置けたらおしゃれだなぁと思ってひどく感動した。

額ひとつとっても、花一輪とっても、人の思いを詰め込むことができるのだとわかった。
僕ももっと生活の身の回りの一つ一つにかける手間や工夫にもっと具体的にどうするかというのを考えたら楽しめそうだと教えてもらった気がする。何気ない部分に手間が隠れていたほうがきっと人生は面白い。(このブログもそんな感じになってくれたら楽しいなぁ・・。)


友達の待ち合わせには5分遅刻してしまった。

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