2010年9月14日火曜日

途中経過

11月の曲の発表会に向けて曲を制作中。僕なりのカノン。

2010年9月13日月曜日

脳の使用率

脳みその使用率は普通の人で大体20%くらいということを小さい頃テレビ番組が言っていた。

この数字があっているかどうかはわからないが、しかし、そこまで高くはないということにはなんとなく納得出来る。

使用率がその限度を超えると、普段緊急用に溜め込んでいた脳みその残りが動くための余白というのが使用できるように、余白の部分を残しておくのではないだろうか?そのために、リミッターみたいなものがあって、使用率を制限しているように思えて仕方がない。リミッターを解除すると危険領域で脳みそを動かすことになるので当然壊れやすい。

しかし、学者や運動選手はこういったリミッターを自らとっぱらって日常的に仕事をするために、新しいひらめきが降りてきたり、火事場のくそ力がでたりしているのだろうというのが概ね僕の考えです。

高校生の時に比べると計算能力は格段に落ちたこと請け合いではありますが、大学に入って、脳みその使用率はかなり上がったように思えます。

何をするかで脳みその使用率はかなりことなるようなので、そのなにをするかの選択は大事なモノだと思う今日この頃。

2010年9月2日木曜日

1と0

これは在るか無いかという話。

小さい頃からものがなんで触れるのだろうか?
とか

そもそも在るってどういうことなんだろうか?
と考えていた。



ある漫画の研究本でこんな空想があった。

「今目でみている世界だけが在る世界なのではないか?」

つまり、視野に入らない世界はその都度消滅して、見るたびに再生されている。不思議なことにそれは今までのものと瓜二つで、人間は世界が再生され続けていることに気がつかない。と。

こういう空想を始めると自分以外の存在は「存在し続けていない」、自分だけが唯一無二の実存になるなどという結論に行ってしまいそうになるので、あんまりおすすめはしないが、しかし、人間の頭ではそう考えても不思議はないということになる。



たとえばこんなことも思う。

ボールが地面に落ちる。

何回もバウンドして止まる。

「しかし、ボールは何回目で止まるのだろうか?」

数学的に考えると、止まる(振動がない)極限まで行くということを考えることはできるが、
いつ有限の動くという状態がが無限の止まるという状態に変換されるかという問題については誰も言及することができない。

1と0のスイッチというのは考えれば考えるほど程遠く違ったものであると思わされることになるのだ。

これ以上話を続けようとすると、難しい数学の話になってしまいそうなのでやめようと思うけれど、結局のところ、人間には「1(在る)」か「0(無い)」かという状態を単なる数の序列と考えるということは不可能であるようだ。